リニューアルオープン

1972年に壱岐牧場を設立しました。そのきっかけは当時欧米ではリゾートの為に働くとまで余暇を大切にされていました。その為に会員の力で一ヶ月程過ごせる村造りをしていると現在の太平洋クラブの初代企画室長が雑誌で発表され目から鱗が落ちる衝撃を受け、やがて日本にも週末型のリゾートが訪れるとウイークエンダークラブを目指し我が故郷”夢の浮島壱岐”に帰郷したのです。

夢の浮島とは福岡から壱岐まで6時間以上かかる時代に島で商人宿を営む方々が名付けられたのです。商人宿とは島の宴会、結婚式、仕事で泊まる各町に一軒は必要な宿を言います。その時は日本でも今日の様な観光の時代が来るなど思わない時代に我が壱岐の先輩方が夢の浮島として宣伝されていたその思いが伝わったのかも知れません。

帰郷したころは九州の都市福岡でさえ海水浴の時代でした。そこから海水浴から海遊びそしてリゾートと予測しておりましたが帰郷時に用地買収をしている時に横山孝雄石田町長から今筒城浜をリゾートの為に統合しているから欲しい時は分配するから土地を買うのは待ってくれと頼まれました。

町長は飛行場も誘致された先駆者ですが、この時代にリゾートを目指されているのは夢の又夢とさえ感激致しました。ところが早すぎた他界をなされ、その上オイルショックが起こり一変して計り知れないドン底に落ち込みました。それからは孤独とドン底からの始まりと成ったのです。

それから50年の努力が実りやっと小さいながらスタートの位置に立てるリニュアールを成し遂げましたがそれはほんの始まりの段階なのです。その上私の賞味期限は3年しかありません。私が求めるものは贅沢でも無く、享楽でも無く、テーマパークでも無い健全な余暇型のリゾートです。

いわゆる国民の健康を司る保養地ですがそれは国の責務で有り壱岐に於ける地方創生の要なのです。その重点地区は何度も訪れたくなる宿そして地域づくりを顧客ニーズに合わせ共存共栄をする事で国民の健康と地方創生が実現出来るのです。

その事を証明すれば不可能が可能になり同時に日本の補助金のモデルとなれるのです。壱岐牧場はそれを論理的に訴えていますが理解されないのはリゾートは日本の文化でない上に誰もが気づかないようなニッチ分野だからなのです。しかし顧客ニーズは無意識にそれを求められており、壱岐牧場は現場の責務として訴え続けているのです。

これは商売とかお金ではなくそれをお求めになるユーザーと共存共栄が出来て初めてウイウイになれるのではと思っております。皆様はこの事にどの様に思われるでしょうか!

 

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